過ぎてしまった時間を…

やり直す事は出来ない。

だからといって、悔いていても過ぎてしまった過去は良いものにならない。

 

昼過ぎから、平日の14時過ぎから外に出てラジオ体操、視覚機能トレーニング、マインドフルネス瞑想、ウォーキング(ちょっとジョギング)に出掛けた日に思ったこと。

 

こんな平日の昼過ぎまで寝てて、さらに散歩に出掛けようもんなら、「何してたんだ」とか「サボってんじゃねー」とか、「そんな事するヒマあったら仕事しろ」とか「そんな事してたから間に合うものも間に合わなくなったじゃねーか」なんていう言葉が浮かんで来て脚を引っ張って止めようとする。

 

でもえいやぁと、耳を貸さずにトレーニングウェアとシューズに身を包んで出掛けた。

 

ヒゲも風呂も髪の毛も顔も洗ってない姿で出掛けて引かれるよ?うわぁって思われるよ?なんて言葉も追っ掛けて来た。

 

知らん。

 

通り過ぎる人の為にウォーキングしてるんじゃない。

 

通り過ぎる人が「羨ましい」とか「カッコいい〜」とか思える為に生きてるんじゃない。

 

俺は俺自身の為に「いまを生きてる」んだ。

 

邪魔すんな、気にすんな、俺のアタマ。

 

そうやってただひたすらには歩いて帰って来た時に思った。

 

1時間歩いていた。

 

確かにこの1時間で出来た仕事はあるだろう。この1時間、早く電話を貰ったら嬉しかったお客さんも居るだろう。

 

でも知らん。

 

俺は俺の為に生きてる。

1時間ぐらい待っとけ。その時間でダメになる状態までギリギリにしてたお前も悪い。その時間まで依頼しなかった、気付かなかったあんたも悪い。

 

そのぐらいの「他責」である事にも比重を移して。

 

あの時えいやぁと家を出なかったら、この1時間はまた寝て起きての繰り返しをしていただけだろう。

 

俺が、俺の1時間を自分で変えたんだ。

 

それまでの過ごし方からどうせウォーキングに行っても無駄だとか、行かない方が賢明だとか、行くならやるべき事を片してからでないと怒られるとか。

そんな事考えていた時の自分はどうだった?本当にやる気を持てたか?

 

そんな状態で「結局同じ1時間の繰り返しになってた」人生の時間を、自分の力で、自分の意志で変えたんだ。

 

遥かに有意義な1時間だったろ。

例え仕事が一歩も進んでいなかろうとも。

 

行きづらいなぁと感じてる客先、どう連絡したらいいか分からんお客さん、とりあえず行ってみろよ。とりあえず連絡してみろよ。

 

そうすれば、そうして初めて「どうすることが出来て、どうすれば良いか」のヒントが貰えるんだから。