今だから思う、うつのメカニズムについての仮説(自分の場合)

より行く気が起きににくなる、行きたくなくなる状況を自ら作り出して、負のスパイラルに追い込んでいってる=「乱雑なコミュニケーターとの接触頻度の削減により、そのコミュニケーターから批判を受ける機会を作り出す」であり、削減すればするほど行きにくく、会いに行きにくく、顔を出しにくくなっていく。

その状況を作り出してしまった自分を守るために、悪くないと弁護する為にも「病的になる」手段(生活リズムを崩したり、異常性のアピール)を取ったのである。つまり、「病」人であれば「責める人は居ないだろうし」という算段が背景にある(決して悟られないようにする為に、自分自身が「わざと」そうしているわけじゃないんだと信じ込む。薄々気付いているがそれを認めてしまうと、非難批判を浴びてしまい、正当な権利から間を取る事が出来なくなるから。)。

 


ここで生じる責任追及のあるあるとしては、「仮病だ」とか「ズル休みだ」とかだが、実はそういった非難、批判を避けるためにも、本人は本当に「病気になる」のである。このレベルでは最早仮病の域では無く、本当に診断が下るレベルまで落ち込んでおり、本人は「本当に」苦しんでいる。


また、この場合の「責任の所在」においては、本人に「行きたくない、コミュニケーションを取りたくない」と思わせた、感じさせたコミュニケーター側のコミュニケーションの取り方にもあると言わざるを得ない。

 


しかし、そういったコミュニケーションを取ってしまいたくなる態度を、病人側が取った事も事実であると推測されるからこそ、喧嘩両成敗だし、両者共に不適切だった部分があるから、「責任追及」は意味をなさないし「不毛」であると言わざるを得ない。

 


もし、ここから得られる「教訓」があるとしたら、一つ目に嫌われる事や怒られる事を恐れずに自己主張するスキルを身に付ける事と、たとえ乱雑なコミュニケーションを取りたくなる態度を取られたとしても感情に任せず論理的に冷静に事実ベースで「ダメ出しでは無く」フィードバックするコミュニケーションスキルとセルフメンタルコントロールスキルを養う事、である。

 


つまり、前者に必要なのは「アサーションスキル」であり、後者に必要なのは「アンガーマネジメントスキル」である。

 


更に言い換えるなら、前者には「言い方」であり、後者には「受け取り方」である。