治したいと思ってる?
引きこもり、うつを脱する方法を紹介しているYouTubeをちょこちょこ見る。
(頻繁に見ない理由は、それらの方法に取り組んでいない自分を責めたり、
「どうせいくら紹介しても、どうせやらないじゃないですか」というその紹介者のココロの声(あくまで主観的な思い込み)が聴こえてくるようで辛くなるから)
実際、自分自身と対話しながら少しだけ余裕が出て来た時に自分にぶっちゃけベースで聞いてみる。
「こんなに色んな方法、特に朝イチの散歩なんてそんなにコスト、心理的ハードルが高そうでないのに、取り組まない理由はどうして??」と。
すると自分でも凄いびっくりする答えが返って来た。
「…だって、元気になったらまた働かなきゃいけなくなる。
働かなきゃいけなくなるとまた、乱雑なコミュニケーション(決め付けや押し付け)をしてくる人達とコミュニケーションを取らなきゃいけなくなる。
ダルいし、めんどくさい。
何でそんな人たちの為に働かなきゃいけないんだよ。」と。
あーなるほど。確かに。と思った。
変な話だけど、これが私なりの「本当の自分との対話法」。
こうやって、「いまここに居る自分の本音」を聞いていく。決して批判したりせず、時には「大丈夫、誰にも言わないよ」と語りかけながら。
続きだけど、そりゃ「この人の役に立ちたい」とか「仕事が楽しい」とか感じられなかったら自然と、
「仕事をする為に」回復しようとは思えない。(思える人も居ると思うけど、あくまで自分自身のケースは、の話)
だからこそ、「いかに仕事をしたいと(主観的に)感じられるか」が自分が継続して働く上では欠かせないんだな。と、
また自己理解が進んだ感覚(それによって自己肯定感も少し上向きに)があった。
そうやって、合点のいく自己理解がいくと建設的な考えにギアが入っていく気がする。
例えば、仕事をしたい、楽しい、と感じられる状態に持っていくには(あくまで周りからの評価や世間体ではなく、自分自身の為に)、
どんな事が出来るんだろう?という風に。
休職中に学んだ「認知行動療法」を活用して、クレイジーな捉え方大歓迎で、こんな捉え方はどうだろう?あんな捉え方してみると自分はどう感じるだろう?という実験感覚で楽しむ。(これだと、仕事そのもの、というよりもリフレーミングをする事の楽しさという感じだからちょと違うかもだけど)
他にはやっぱり転職。
ただここまでマインドを変えてから考える転職は、「あの人が嫌だから」とか「この仕事に向いてないから」とかネガティブな、「逃げ」による転職というより、
じゃあ自分は一体どういう仕事なら「楽しい、やりたい」と感じるだろうか、という「やりたい方向へ、自分がより活き活きする方向へ」と変わってくるから、
気持ちの明るさ、目の向ける方向が大きく変わってくる。
また話逸れちゃった。
つまり、引きこもりで悩んでどうかしたい、何とかしたい。と悩んでる。と自分は言ってるけど、
正直、ぶっちゃけ、そうだと言い聞かせてるだけじゃない?と。
それって、自分は悩んでる、傷付いてるんだ、というアピールが目的になってない?と聞いてみた。
その答えは前述した通り。
だったら、その目的になってる「アピール」を思う存分してみたら??
どれだけ周りの人たちが無神経か、課題の介入をしてくるのか、承認欲求が強い事に気付かず「良かれと思って」押し付けて来たり、決め付けてアドバイスして来たりするのか、
目一杯、精一杯、不満、怒り、悲しみを表現してみたら?
復活しようと頑張ってるんです、とかじゃなくて。
そうやって、自分自身の本当のしたい目的に蓋をしちゃってるから、自分自身が納得いってなくて(なんで俺ばかりこんなに努力しなきゃ、我慢しなきゃいけないんだ)と
本心から一歩を踏み出そうとしないよね。うん。
「嫌なんです。やりたくないんです。」
「ずっと寝ていたい。」
「人と関わりたくない。」
「わがまま」かもしれないけど、最終的には我慢しなきゃなのかもしれないけど、
自分だけは、「自分のわがままが何なのか」は知っておこうっと。
自分が、自分の本心を尊重出来てる?