自分次第

最近つくづく思う。

 

「全ては自分次第だ」と。

 

相手が承認欲求を満たそうとマウンティングを取ってこようとした時、

自分がどういう態度で居るのか。

 

嫌なことをされて、いじめられて、妬まれて、羨ましがられて、お土産を要求されて、見下されて、蔑まれて、笑われて、馬鹿にされて、非難されて、誹謗中傷されて、不遜な態度を取られて、冷たい人だと、自分の事ばかりだと、責めてくる人ほど、自分に対して優しくして欲しいから非難して変わるべきだと言っているから自己中だと言える。

或いは自分に対してではなく、周りに感謝すべきだと言ってくる人も居るだろう。でもそれもやっぱり自己中。自分が感謝されたいから、良かれと思ってアドバイスしてくるのだ。自分が、何で教えてくれなかったんだ、冷たい人、酷い人だと批判されたくないから、自分がそう思われたくないからアドバイスしてくるケースもあるだろう。自分の価値観を押し付けてくる時点で「自己中」だろう。自分の価値観が正しいと相手に認めさせようと躍起になって、相手がどうしたいかどう生きたいかに耳を傾けようとはしないのだから。

 

自分に対してのメッセージとしてという事もあるかもしれない、つまり「自分だから」という場合もあるけど、単純にその人の機嫌が悪くて、勇気を挫かれて、余裕が無いからという事も考えられる。

 

そんな「自分は他人の為になる事を出来る良い人間です」風情の勘違い自己中野郎に、非難される、喧嘩売られる、価値観を押し付けられる、そいつの価値観に合わないからアドバイスされたり叱って来たりされる事に、いちいち従ってたらキリがない。

 

ここで自分が感じている事や思っている事を、自己開示してさらけだすか、飲み込んで合わせるか、「自分が」自分の行動を決めてるんだ。

 

言いにくい雰囲気」なんてもんは、相手も作ろうとしてる事もあるだろうけど、「そう感じる」かどうかは自分の主観が感じている事。

 

だから、結局は自分が自分の主観を元にどう判断して、「どう生きるか」なんだ。

 

その意味で、「他人のせい」にしてる限りは自分は生きづらいままだ。

適応力も上がらないし、その他人が自分の為に変わってくれるとも限らないし、嫌だなと自分が感じている限りはその場から距離を置きたくもなるだろう。

 

ご飯を食べに行くにも、行動しない限り得られない。

 

歩こう。自分の生きたい人生を行きたい方向へ。