「アドバイス」してくる人の本質的な目的
想像、予想、シュミレーション、考えてみて、
〜を言われたらどうしよう。
事業が上手く行かなかったらどうしよう。
貯金が底を尽きたらどうしよう。
引かれたらどうしよう。
嫌われたらどうしよう。。。
と想像して、
「だからやらないんです」という人は、
そのやろうとしてることがやりたいんじゃなくて、成功させたいんじゃなくて、
失敗したくないだけ。
賢明な判断だね、と褒められたいだけ。
成功させたい。
実現させたい。
そう心から思って、そうしたくてどうしようもない、ワクワクが止まらないって人は、
失敗する可能性、上手くいかない可能性が想像で持ち上がって来たら、
そうならないように対策を打つ。万全の態勢で臨む準備がまた一つ進んだ。と思う。
それと同じように、「止めた方が良いよ」と様々な(リスク=不確実性ではなく)危険性を説いてくる人の目的は、
成功させる為に越えるべきハードルの提示や、成功させる上で想定して準備しておかなきゃいけない事を教えてくれてるのではなく、
「止めさせる為に」色々な危険性を言ってきてる。もっと言うと、その人が「止めさせたい」というその人自身のエゴ、目的を達成する為にこちらへ働きかけて来ている。
その証拠に、そういう人ほど、
「結局、やる、という事は決まってるんですね…」とか、
「頑固だなー。どーせやるんでしょ?」とか、
の発言を言ってくる。
これはやるかやらないかの「承認申請」と勘違いしてる証拠でもある。
こちらは「やる」という事は決定事項で、「やる為には何が必要か」という事の「相談」をしたいだけ。
相手がコミュ障なのだから、それに付き合う必要も無いし、時間もない。
たがら「危険性アラート」としてアイディアを出させるだけ出させて、自分が必要と思うものに保険だったり対処法を考え、「そこまで必要ない」と思うものに対しては「へー」ぐらいの感じで流し、利用するだけしてありがとうと言って別れれば良い。
「その人の心配性」の為に、安心させてあげる為にこちらが止める必要はない。心配性、不安症に付き合う必要はない。
その人はその人の目的があって心配でいるのだから。
その目的の主なものは、「怪我をしない」「失敗をしない」「やけどしない」などだろうが。
無論、「自分自身がやるかどうか迷っている」のであれば合っていると思うけど、その人に承認を貰えた所で、今後も事あるごとに「その人から承認を貰えないと」不安で仕方ないだろうな。
やるかやらないか、自分の人生の舵取りを自分で決断出来ないくらいだから。