仕事へのやる気が上がらない言い訳としての、片付いていない。

目的論に出会ってから、今ひとつ自分の事でしっくりいっていない事がある。

それは仕事にどうもやる気、つまり「やりたいという気持ち」が湧いてこない時に

「それは先に仕事にヤル気を出さないとあらかじめ決めているのであって、何かがあってその為にやる気が起きないというのは間違いである」という分析について。

 

いやいやいや。確かにトランクの中や顧客との面談で使用するデモ器が散らかっていたり、会社から送られてくる資料が山のように積もっている様子を見て、ヤル気が上がらない、片付けなきゃなーと億劫になってなかなか取り掛かろうとしない、という事がある。

 

こればっかりは原因論なんじゃないか。そう思っていた。

 

けれど、今日片付けを進めてはっきり分かった。

 

片付ければ片付けるほど、やる気が無くなっていく自分をはっきりと認識した。

 

その自分はこう言っていた。

「片付いたら「やらなきゃいけなくなるじゃん」」と。

 

やりたくない、やらなくて良い、やる気が上がらない事の

「もっともらしい言い訳が無くなる」と言っていた。

 

ここでふと考えた。

散らかったままにしていたのは、もっともらしい理由として自分を納得させられる言い訳だったからなかなか片付けようとしなかったのか。

 

しかし待てよ。これじゃあ、もしも行く末誰かと同棲する事になり、

強制的に片付けさせられようものなら明らかに反抗するだろう。

 

だって目的があって散らかった状態にしているのに、

同棲相手のエゴで片付けさせられて、お礼すらも言われないとなると。

 

今回引きこもってここまで立て直して来た時のきっかけを思い出す。

「体調を整えたからと言ってすぐに仕事に行かなくても良い。」

「体調を万全の状態に保つ=仕事をしたがっている、仕事をしたい、楽しいと思っている、とは必ずしも限らない。」と自分と話していた。

 

そうすると基本的には自分は朝早くに起きて活動するのは嫌いじゃないし、

モーニングルーティーンをするのも好きだ。

けれど終わって仕事に行くとなるとめちゃめちゃ億劫に感じる。

 

片付けも好きだし、整頓された状態、埃や汚れを清掃して綺麗な状態にするのも

愛着が湧くというよりかは次使う時気持ち良いから掃除も好き。

 

ただ、だからと言ってそれらをする目的に「仕事の為ではない」というのを

明確に意識してからそれぞれに取り組むようになった。

 

仕事の為じゃねーし。

気持ち良く寝れる寝具に買い換えるのも、あくまで「気持ち良く寝れる為」であって

仕事への体調管理や集中力を維持する為とかじゃねーし。

というのがすんごいしっくりくる感覚。