親孝行の話

島田紳助さんが、

 

非行に走った子どもは、親が一生懸命叱って向き合っている程、

「うるさいわボケ!」と口では言っても、心の中では「ごめんな!」と想ってるもん。

だから親孝行するようになんねん。

 

という話があった。

 

自分を振り返ってみると、正直に言って、介護したり、プレゼントしたりするのは、

「感謝の気持ちとして、親孝行しよう」という気持ちでは無く、

「子どもとしての義務」「それをすればなんか喜ぶし」ぐらいにしか思えない。

 

それは自分は末っ子として色々と好きなようにワガママ言ってきたという感覚よりも、

親が気にいるような良い子で居続けた、なるべく親の期待に応えようとし続けた。言う事に対して反抗せず素直に聞く真面目な子で居続けて欲しいだろうからそうした。という気持ちが強いから、

寧ろ感謝して欲しい位の気持ちを抱いてる。

 

そんな気持ちを抱いている自分の目に、

介護もしてくれ、老後の面倒見てくれ、と言ってくる親はどう映るだろう。

終始、自分の人生の時間を搾取してくるやつ、と思いそう。

散々エゴを押し付けてきた挙句、老後の面倒まで見ろ?

どんだけだよ。俺の人生食い物にされた分、自分の息子娘の人生を食い物にしないと

自分ばかりが損するだろう。割りに合わない。そんな考えに至っても自然なことだろう。

 

だからなんで自立した後までも親の言う事聞かなきゃいけねーんだよ、と思うし

実家にもなるべく帰りたくない。

 

これが親孝行しとけば良かったと後悔するメカニズムなのかな?

 

今、親としてこの日記を読んでるなら、

「本当に親のエゴを押し付けてない?」と問い掛けたい。

 

子どもの為を想って、とか

良かれと思って、とか耳障りの良い言葉で自分のエゴに応えさせようとしてない?

 

心から、目の前の一人の人間が何に興味を持っていて、

何をやりたいのか、興味を持ててる?「それ」を応援してる?