夢を本気で追いかけるなら。

どれだけ、

自分の夢を追い掛けよう。

自分の信じた人生を歩もう。

と決心した所で、

 

誰かに自分の夢を、想いを、やりたい事を

「理解して欲しい」「共感して欲しい」「応援して欲しい」

と想っている限りは限界がある。

 

どこまで行っても、理解してくれる人ばかり、

イイね!と共感してくれる人ばかり、

応援してくれる人ばかりというわけじゃない。

 

それどころか、

「なんでわざわざそんな無駄な事すんの?」

「バカじゃない」

「何が面白いのか分かんない」

「悪いこと言わない、そんな無謀な事やめなよ」

「どーせ無理だよ」

「今出来てないんだから出来るわけない」

と言ってくる人も居るだろう。

大多数の人間が、リスク回避志向を持つ傾向の強い日本なら

きっとその数は半端じゃない。

 

自分が夢を諦めた事、やりたい事を我慢している事が

間違いじゃないと想いたいから、そうしようとしている人にも

辞めさせようと必死になって言ってる。

 

「ね?やっぱり言った通りでしょ?」と

失敗をした人に向けてだけで無く、

「チャレンジしていない自分に」言い聞かせてる。

 

本当は、

「成功して欲しい」

「でも成功しちゃったら俺もチャレンジしとけば良かったと後悔しそう…」

「ただ、チャレンジする勇気が無かったなんて認めたくないから、

アイツは運が良かっただけ、大した事ない、そのぐらい俺だってやれば出来る」と

成功した人の「チャレンジする勇気」や「成功するまで続ける努力」を認められない。

 

大した事あるよ。

その一歩を踏み出す事がどれだけ怖い事で、勇気の要ることか、

チャレンジしていないあなたが一番良く分かってるでしょ。

 

だからこそ、「そういった周り」に振り回される時間、ガッカリする気持ち

ショックを受けてる時間、落ち込む時間なんてもったいない。

 

周りの足を引っ張って来ようとしてくる人達の(自分のやりたい事に)チャレンジしない人生を

わざわざ肯定してあげる為に、自分が夢を諦める必要なんてない。

 

もし自分の信念に従って、自分の人生の時間を少しでも多く自分の夢の為に使いたいのであれば、

理解して貰う事や共感して貰得る事、応援して貰いたいという「承認欲求を諦める。」

 

課題の分離をして、それらをするかどうかはあくまで他者の課題であり、

そうして欲しい等と期待などせずに、ただただ自分が信じた道を淡々と歩めばいい。

 

あくまで課題の分離をした上で、たまたま応援してくれる人に会ったら、

どれだけ嬉しく感じるだろうか。どれだけ勇気付けられ、どれだけ「有り難い」と感じるだろうか。

 

だからこそ、自分が自分の人生を悔いなく楽しく生きて、

そして本当に心の底から他者に感謝の気持ちを持てるようになる為にも、

自分の心に従い、自分が信じられる道を歩いて行こう。