再発したっぽいなー(うつになる前の引きこもり)
ゴールデンウィークが開けたぐらいから、引きこもり生活が再開してる。
振り返ってみると、毎年1回はどかーんと引きこもっている。
昨年は2月頃。一昨年は10月頃から。
またその一年前にもあった。正確には覚えてないけど。
「引きこもり」を精神疾患的に捉えて、病気という見方も出来る。
けれど今回ふと、引きこもるという「1つの意思表示する方法」なのかもしれないと考えてみた。
確かに「異常、病気、正常ではない、おかしい」などの捉え方から
すぐに心療内科にかかって、薬物治療をスタートする事も出来る。
けれど、将来の住宅ローンや生命保険契約の際の告知義務に抵触する治療になる為、
心療内科の受診や薬物の処方は受けたくないのが正直なところ。
(勿論、昨今ではそういった精神疾患にかかった歴があっても契約出来るものが
出て来てはいる。けど、抵触しない方が面倒でないのも事実。)
それなら休職期間中に養ったメンタルヘルスマネジメントスキルや、知識を活用しない手はない。
先ずは、アドラー心理学で学んだ「目的論」と「リフレーミング」で、
「職場の人間関係に悩まされて」引きこもっている、という捉え方から
「納得出来ない事がある、という意思表示の手段として」引きこもっている。と
捉え直してみる。
そういえばアドラー心理学の中で、「広場恐怖症」という名称で「引きこもり」の事を考察していたなー。
例え相手が嫌がらせをしようと思っていた訳ではなかったとしても、
自分が嫌な事をされた時に、相手に面と向かって言う勇気が持てなくて言えず、
(返り討ちに遭ったり、嫌われたり、あいつ生意気だなとか、細かくて嫌なやつ、とか言われたくない)
でも相手がその後平然としている(相手にしてみたら別に悪気があった訳で無いから、
謝る必要性も感じられない。ある意味自然なんだけど、だからこそタチが悪い)と
「なんて酷い人なんだ。」とか心の中で思って、
「あんな無神経な人が居るからそれによって悩まされる人が後を絶たないんだ。」
という考えにまで行きつくと、「諦め感」が生まれて、「どーせ〜」と始まる。
ここで自分が想像している「嫌がらせ」っていうのは、
相手が相手の勝手な期待をこちらに押し付けてくること、なんだけど、
例えば昇進して欲しい、後輩を指導する立場になって欲しい、会社を辞めないでほしい、心配だから病院へ行って欲しい、悩み事があるならせめて俺には話して欲しい、とか。
一見、期待という言葉もポジティブに聞こえるし、上に列挙したその具体的内容も良いものに感じられるけど、
俺自身がそれらを望んでいない、むしろ嫌がっているとしたらどうだろう。
例えば、担当製品について顧客とその有用性について話し合って、顧客が望んでその製品を採用して感謝される事が楽しいと感じているんだけど、
会社がいくら寄附金をしたかとか、研究会をサポートしてくれているからとかという理由で採用の決定や競合製品への切り替えをされるような大学病院の担当者へ「栄転だ」とか言って配属して来た時。
こっちはそんな職場望んでないんだから願い下げにも拘らず、
「そんな事言うな、誰でも任されるポストじゃ無い、お前には出来ると思ってやらせて貰えるんだからありがたいと思え。」なんて言われたら、
こっちが望んでも無い事、むしろ嫌なポストに振られた側にも拘らず
なんでありがたいと思って感謝しなきゃいけないんだよ。と言いたくなる。
どんだけ傲慢な事を言ってるのか分かんねーのかな。分かんないよね。
相手がどんな事を望んでいるのか、よりもいかに自分が捌く必要のある仕事をさっさと「自分が気持ち良く」捌くか、にしか興味無いんだもんね。
「出来る」と「やりたい」は全然別もんだよ。
と、ここまで書いてて、これを「意思表示」として上司に伝えたりするには
伝え方にとっても気を遣うし、とてもリスキーな事だから疲れる。
だから相手に伝えずに自分の中で「溜め込む」という選択肢を取るんだろうな。
相手に伝えない方が、相手に伝えた後に相手と人間関係がギクシャクした時のストレスを感じずに済むから、その方が「楽」だと判断している。
でも溜め込むといつか「爆発(今は長期間の引きこもり)」するし、その繰り返しで疲れるし。
だからこそ、相手に自己主張する手段(アサーション)を徹底的に身に付けるか、
今の人間関係が構築されがちな今の職場、仕事を辞めて転職するか、という選択肢になってくる。