生きるという事

最近この事について考える様になって来た。
22年間生きて来てやっと、という考えと共に、
これ以上生きてからで無くて良かった、とも思う。

別に生きたい、死にたいとも思わずに、
ただひたすらこの(生きる)ことについて
考えてみたい。

今自分は、この世に生きている事を赦して欲しいと思う。

こんな中途半端な人間よりも、生きるべきヒトは居ると思うし、
こんな問いなんか考える前に必死に生きているヒト、あるいは今日
を楽しみに亡くなってしまったヒトもいるだろう。

生まれ得たこの命をどうするかは、だれにでも与えられた権利だろう。
だからこそ何でいきているのか、そして何故しにたくないのかを考えてみたい。

今コンプレックスを考える。
自分で抱えたにせよ、ヒトから言われて気にする様になったにしろ、
コンプレックスはある種の傷だと思う。
この傷を隠し、あるいは鎧を身に付ける。

そしてこの傷は,他のヒトと接する中で出来たもの。
誰を責める事も出来ない。
皆加害者でもあり、被害者でもあるのだから。

けれど、そんなヒトが、傷一つ無い、
まっしろでまんまるな時が誰にでもある。
それは赤ちゃん。

それが傷付ききった大人の手で、エゴで汚され傷を付けられて行く。

その繰り返し。


僕は生きたいとも、死にたいとも思わない。

人生良い事が有るよという人がいる。
確かに有る。自分もそう感じれる瞬間は味わって来た。

生きる事つらいと言い自らの命を絶つヒトが居る。
確かにそう感じる場面もある。

けれど共に生きる意味ではなくて、生きることで感じる事だと思う。

何故ヒトは生きる?
何故ヒトは死ぬ?

何故ヒトは生きたいと願う?
何故ヒトは死にたいと願う?